第二次世界大戦後に形成されていく大衆消費社会において、新たに若者という対象軸を意識する動きが出てくるのが1960年代に入ってからで、わたしは1964年がその動きを顕在化させた年だととらえています。64年は東京オリンピックが開催された年として記憶されていますが、じつは週刊誌の『平凡パンチ』が創刊された年であり、マーケッターとしてはこのことに興味を惹かれます。『平凡パンチ』は雑誌の歴史上初めての、若者、それも男性を対象にしたオシャレ生活の情報誌といった性格を持つものです。新刊雑誌にはしばしば社会の動きを先取りするものが見られ、トレンドを読むうえでの観察対象のひとつになるのですが、この週刊誌は若者の消費市場の広がりをとらえたことで歴史に残ると思います。というわけで、まずはこのへんから「トレンドの考古学」を始めていくことにします。
内容もそうですが、イラストレーターの大橋歩さんによる表紙は新鮮でインパクトがありました。わたしも「オレたち若者の雑誌」という気持ちを抱いたことを思い出します。ちなみに『平凡パンチ』は1988年に休刊になってしまいます。70年代から80年代にかけての雑誌の競合状況を思うと、ひとつの役割を終えたと言えるでしょう。ところで、この『平凡パンチ』を見てみたいと思われる方にお薦めしたいスポットがあります。代官山Tサイトの蔦屋書店にある「Anjin」というカフェ&バーがそうです。ここは壁面にバックナンバーの揃ったいろいろな雑誌やアート系の書籍が並ぶ資料室の趣を持つ環境に特色があり、身を置いているとイマジネーションが湧いてくる不思議な空間でわたしもよく利用しています。そしてこの「Anjin」に『平凡パンチ』のバックナンバーが揃っています。
創刊された『平凡パンチ』はファッション、自動車、セクシーグラビアを柱に構成され、特にファッションについて盛んに取り上げられたのがアイビースタイルで、これを特色にするヴァンヂャケットです。ブレザー、ボタンダウンのシャツ、コットンパンツ、ワラビー・スタイルの靴などをシンボリックなアイテムに、このブランドを着たクルーカット(当時はGIカットと呼んだ)の男性たちは大橋歩さんの描く表紙にも何度も登場したものです。ヴァンはオシャレに関心のある若者たちをとらえ、若者に先行世代とは異なる若者ならではの帰属先を教えてくれた存在であり、ヴァンがあればこそ、若者市場形成の推進役となる平凡パンチの創刊があったと言えるのです。当時わたしもヴァンのファンのひとりで、最も充実したヴァンショップを展開していた銀座松屋に通ったものですが、試着して「少しきつい」旨を伝えると、「服のサイズに体を合わせてください」と言われ、怒るどころか妙に納得したものです。ヴァンは1978年に倒産するのですが、その直後に雑誌『ポパイ』が「ヴァンが先生だった」という特集を組んだのを鮮明に覚えています。ひとつのブランドがここまでドラマティックに語られた例はわたしの経験のなかにはないように思います。
さて、ヴァンの話をすると頭に浮かんでくるのがホンダ、バイタリス、コカ・コーラです。これら4つのブランドに共通しているのは、1960年代半ばから70年代半ばにわたってひとつの時代風俗を築いてきた象徴的商品であるということです。ホンダは通称「Nコロ」と呼ばれた軽自動車のN360で、若者が自分のお金で買うことのできた最初の車です。バイタリスは当時革命的であった液体整髪料で、アイビースタイルには欠かせないクルーカットによくマッチし、男性化粧品市場の草分けになったブランドです。コカ・コーラはボトルデザインといいロゴといい、先端を感じさせる飲み物として若者たちの心をとらえるものになりました。バイタリスで整髪して、ヴァンを着て、ホンダのNコロに乗って、平凡パンチを小脇に抱え、コークを飲んで。これは一時代をリードしたひとつの風景であり、その後の若者消費市場を語るうえで重要な源としての意味を持っています。つまり、若者消費市場が発展していく入口になったブランドとして記憶されるべきものなのです。そして、この時代の若者が今、80代に到達しています。彼らが若者市場の第一期生であることを忘れないでください。
興味深いことに、コカ・コーラを別にすれば、平凡パンチも含めて主役は男です。そう、若者市場はまずは男を主役に誕生し、次に女性へと大きく広がることになります。ちなみに、雑誌『アンアン』が創刊されるのは1970年のことです。若者市場はまずは男性を主語に形成されていったのです。なぜ女性ではなかったのか。じつに奥の深い問いかけですが、読者の皆さんも考えてみてください。
蔦川敬亮/禁無断転載