カウンターカルチャー

先回は若者を主語にする消費市場形成の発端について考察しました。今回はほぼ同時代に頭をもたげてきた若者文化について考えてみることにします。やはり、今に続くトレンドの源流として押さえておくべきことだと思うからです。

振り返ってみると、その発端はエルビス・プレスリーと言えるでしょう。プレスリーと言えば黒人のリズム&ブルースと白人のカントリーウエスタンの融合に新しさのある音楽、ロックンロール、あるいはロカビリーで知られる歌手ですね。アメリカで世に出たのが1955年。瞬時に若者をとらえ、熱狂的なファンを生み出していきます。その一方で卑猥な歌詞と腰の動きが公序良俗に反するとして物議を醸し、CBSテレビの人気バラエティ番組であった「エド・サリヴァン・ショー」のホストであるエド・サリヴァンが、当初、反社会的であるとして出演を拒否したという話が残っています。日本でもプレスリーは若者を熱狂させ、「日劇ウェスタンカーニバル」を中心にロカビリー・ブームを巻き起こしていきます。

若者の感性がそれまで社会的に共有されていた音楽についての概念を破り、新たなジャンルを生み出していきます。実際、1960年代に入ると、プレスリーの影響を受けつつ、ビートルズ、ローリング・ストーンズなどによるロックミュージックに広がり、歳月の経過とともにハードロック、フォークロック、サイケデリックロック、ソフトロックなどへと細分化していきます。それと同時に、詩に反体制的メッセージを込めたプロテストソングの一面を持つものも含めてフォークソングが台頭。個人的な心情、意見を詩に託した歌が広がっていきます。ボブ・ディランはじめ、日本でも実に多彩な面々が登場してきます。

わかりやすいので音楽を取り上げましたが、既成の殻を破る新しいムーブメントは1960年代から70年代初めにかけて、美術、映画、演劇、出版の世界でも出てきます。ポップアート、幻覚剤を服用した恍惚状態から生まれるサイケデリックアート、観念性、思想性を重視し、記号、文字、パフォーマンスなどによる表現が特徴のコンセプチュアルアート。映画ではアメリカン・ニューシネマがそうですね。『明日に向かって撃て』など、いずれも体制側に圧殺される、個人の無力さを思い知らされるエンディングに特徴がありました。そしてアングラ誌、ミニコミ誌の発刊ブーム、寺山修二の「天井桟敷」、唐十郎の「状況劇場」などのアングラ劇団。挙げていけばそれだけで相当の誌面を要しますので省略しますが、60年代初めから70年代初めにかけては、新しい意識との出会いということではとても興奮に満ちたディケードだったと思います。

さて、こうした活発な表現活動に読み取るのは、背後に個人的な生き方や感じ方を大切にしていく姿勢があることです。これまでがこうだから、常識がこうだからと既成のものに沿うのではなく、自分はこう思う、こう感じるというものを大切にして前面に押し出していく姿勢です。そこには、社会が共有してきている常識や既成概念は体制的なものであり、その体制的なものに対抗するという思いも込められていたように思います。それがこの時代の表現活動がカウンターカルチャー(対抗文化)と呼ばれるわけでもあります。

『ホールアース・カタログ』の表紙。

体制的なものへの対抗。その過激な表現となったのは音楽、美術などの表現活動にとどまりません。ドロップアウトという生き方もそうです。そのシンボルとなるのがヒッピー、つまり、自然への回帰を主張し、既成の価値観に沿う社会生活を否定する若者たちです。1968年のことですが、このヒッピーに賛同し、支援するように『ホールアース・カタログ(The Whole Earth Catalogue)』なる刊行物が発行されます。サンフランシスコの非営利団体が発行するこの本は、カタログの名の通り、自給自足に必要な道具を掲載し、提供するもので、なかには自力で出産する際の手引きと必要な用品も掲載されるなど、自然回帰の生活に理想を見出す若者の生活術を集大成した内容を持つものでした。

数年で定期刊行は終了しますが、その最終号はベストセラーになり、全米図書賞を受賞しています。わたしもニューヨークの書店で見て興味を刺激され、購入し、かなりの大判で重い本ですが、持ち帰ってきました。今も仕事の資料のひとつとして大切に保管しています。ところで、ヒッピーはその後の80年代のニューエイジ思想の広がりや、ファッションで繰り返しトレンドになるボヘミアン・スタイルの発生源でもあり、今日に至るまでいろいろな面で影響を与え続けていることを覚えておいてください。

カウンターカルチャーの集大成となる催しとして記憶されるのが、50万人が集まった1969年のウッドストック・フェスティバルです。このようにカウンターカルチャーが台頭し、広がっていった背後に何があるのか。アメリカを見ると、正義や意義の感じられないベトナム戦争での徴兵があったことを見逃せません。ただ、この観点からの考察は社会学者の方々にお任せしましょう。ともあれ、こうした若者による動きは、反戦運動や学生運動の過激化、さらにはカルト集団化へと進み。理想とかけ離れていくことで終焉を迎えることになります。

こんななか注目しておきたいことがあります。カウンターカルチャーの洪水の中で思春期、青春期を過ごし、自我を確立してきた若者たちがひとつの世代になり、生活や消費に大きな影響を及ぼす勢力になっていくことです。これについては次回、考察することにします。

蔦川敬亮/禁無断転載