ミージェネレーション

世の中の観察を続けていると、「新たな世代が形成されつつある」、そんな気配を感じ取ることがあります。振り返ってみると、これまで4度ありました。最初が1960年代後半から70年代初めにかけて、次が80年代半ば、3つめが90年代半ばあたりから2000年代初めにかけて、4つめが2010年代半ばです。わたしの印象ですが、新世代の誕生は台風の発生と似ています。つまり、上昇気流によって積乱雲が発生、多数の積乱雲が集まって熱帯低気圧になり、それが発達すると台風になります。世代が生まれてきそうな気配を察知するのが積乱雲の発生するあたりで、その予兆になるのが『時代の気流』と言えるでしょう。

新しい世代は消費観や消費姿勢を新しくしていきます。世代の把握はマーケッターにとってとても重要なことです。「世代」とは、生まれた年をほぼ同じくし、時代的経験を共有し、ものの考え方や趣味・行動様式などのほぼ共通している一定の年齢層のことを意味しますね。わたしは生活や消費を考察する立場から、生活姿勢や消費姿勢を形成する最も重要な要因が自我の確立期とその時代性にあると考えて世代分類を行っています。自我の確立期とは、中学生から大学生あたりまでの思春期、青春期で、この時期の時代性が生活姿勢や消費姿勢に共通したものを持つ世代を形成すると考えられるからです。わたしはこうした考え方のもと、それぞれ異なる特質を持つ5つの世代に分類し、マーケティングを考える基盤にしていますが、世代については当連載でこれからも触れることになるので、今回はこのへんまでにしておきます。

新世代の発生に気づいた最初が、先回取り上げた「カウンターカルチャー」とともに台頭してきた若者たちです。カウンターカルチャーの洪水の中で自我を確立してきた彼らは、一時が万事、体制的なものに異議を唱える、社会の既成の常識に縛られず、時にはこれを打破したということで、「異議申し立ての世代」と呼ぶのがふさわしいのかもしれません。しかし、それは表層的なとらえ方で、世代の特質に迫っているとは思えません。また、アメリカでの呼称である「ベビーブーマー」も、日本でのこの世代の先頭部分をとらえる呼称として一般化している「団塊の世代」も、それぞれ意味はあるのですが、世代の特質を表現するものではないように思います。

わたしはこの世代を「ミージェネレーション(Me Generation)」と名付けています。理由はこの若者たちの「自分に忠実に生きる姿勢」に特質を感じているからです。つまり、「ミー・ツー」(他人志向)から「ミー」(自分志向)へ。それは既成の常識に従う、周囲の目を気にするのではなく、自分の思いを大事にすることでもあります。早い話、消費のうえでも「隣が買ったからうちも買う」といった「ミー・ツー」の動きをするのではなく、自分はこういう生活をしたいからこういうモノを買うという動き方になっていきます。つまり、したい生活が先にあって購買が起きるわけで、そこでわたしは、彼らは「消費者」の前に「生活者」であるとして、「生活者」という言葉を使うようになりました。1970年のことで、この言葉を使い始めたのは多分、わたしが最初だろうと思います。今や何気なく使われているように感じますが、そこには意味があったのです。

自分志向を特質にするミージェネレーションは「個的な人間の出現」と言えるでしょう。振り返ってみると、60年代後半から70年代は、個人的な意識の表現が様々な形で開花していった時代でした。特に印象に残るのが既成の枠にとらわれることのない「意識の商品化」です。それは音楽、美術、映画、演劇、文章(書籍)、そしてファッションに及び、「着こなし」も普通の生活者が楽しめる自己表現のひとつになっていきました。そしてその結果、多種多様な個人的な生き方、感じ方が開花し、それらをすべて認めてしまうことが、70年代以降の都市の面白さのポイントになったと思います。余談ですが、その生き方や感じ方の集積度が最も高いと実感した都市がニューヨーク市で、それがわたしのこの都市への着目と、観察を始めた理由のひとつです。

「意識の商品化」は消費市場にも興味深い影響をもたらしていきます。個人的な生活観や世界観を表現することが売れるものの条件になる。大衆が望んでいるから、大衆に受けるからという、市場を読む姿勢ではなく、自分はこうしたいという、言わば一方通行の発想がポイントになっていくのです。個人的な情感や思いを形にすることがミージェネレーションの共感を集め、共感が購買へと発展していくのです。音楽の分野で言えばシンガーソングライターはまさにそうで、数多くのヒット作品が生まれていきます。また、雑誌の世界では編集長の生き方や意識をベースにするものが新たに登場。『ポパイ』はその代表でもありますが、やはり共感が読者を創っていく、そんな関係が出来上がっていくことになります。

いや、個人的な生活観や世界観の表現は、モノ作りや店作りにもっと大きな新しい動きを生み出していきます。次回はそのことについて考察したいと思います。

蔦川敬亮/禁無断転載